スポーツ選手に引き際の美学を求めるのをやめませんか?

スポーツ選手の引退するタイミング

スポーツ選手が引退を決意する瞬間とはどんな時なのだろうか。のほほんと日常生活を送っている私には想像もつかない、苦しみ、痛みが伴う決断なのでしょうか。

名選手になればなるほど、その去就は注目されます。そしてその決断する時期によって、世間の評価が大きく変わってきます。惜しまれながら引退する選手もいれば、早く後進に道を譲れと急かされる選手もいます。人生の一大イベントとなるスポーツ選手の引退について考えてみたいと思います。

引退を考えるきっかけ

選手が引退を決める時はどんな時なのでしょうか。

  • 肉体的な衰え、怪我や故障によってベストなパフォーマンスを維持もしくは復活できなくなったこと。そしてそれをカバーできるだけの精神力を保てなくなった時。
  • 所属するチームから戦力外の通告を受け、自身もやり切ったと受け入れた時。

この2点が主な理由になってくるのではないでしょうか。ピーク時のパフォーマンスを維持できなくなり、選手としての限界を感じ、これ以上の成長が望めないと悟り引退する。乱暴にまとめるとこんな感じでしょうか。

引き際の美学を周りが求めてしまう

てば、その限界は誰が決めるのでしょうか。私は本人以外にいないと思っています。力が衰えてきたから、潔く引退する選手もいれば、諦めず、泥臭く粘る選手もいます。

どちらの決断をするにしても、とても苦しいことだと思うのですが、世間の風潮は、潔いことを美学とすることが多いように思います。まだやれる、と踏ん張る選手には今の地位にしがみついている、往生際が悪いという印象になり、陰口を言われてしまいます。

何故、周りはそのように考えてしまうのでしょうか。名選手であればあるほど、その引き際の美学を求められてしまいます。

見苦しい。力の衰えた情けないプレイを見たくない。選手として続けたいなら、トップリーグではなく、野球なら独立リーグなどに移籍してやるべきだ。などのコメントをよく目にします。

しかし、決断するのは選手本人ですから、まだやれると頑張る判断するとそこに、ファンなどの周囲と価値観のずれが生じてしまいます。

そのずれが、厳しい意見を生み出してしまうのだと思います。ですが、そのような意見はどのような意味があるのでしょうか。

これ以上成長できないと感じることができるのは選手本人のみ。そして、続ける続けないの決断ができるのも本人のみです。他人から何を言われても自分を信じてその道を行くだけです。

埼玉西武ライオンズでいうと

愛すべき埼玉西武ライオンズでいえば、松坂選手がこれにあてはまるでしょう。投球練習ができるかどうかで大きな話題になる選手も珍しいと思います。それほど実戦から離れており、それでもリハビリを続けて復活の道を模索する。

あの圧倒的なピッチングを見ていたファンからしたら、今の姿は惨めで、過去の栄光にしがみついているだけに見えるかもしれません。しかし、私は彼には彼自身が気の済むまでNPBに居続ける権利があると思っています。

松坂選手に限らず、NPBの舞台まで登り詰めた選手はそれまでの人生の大半を野球に注ぎ込んでいます。我々一般人が学校帰りや休日に遊んでいる時に、休まず野球に打ち込んでいたのです。

他の全てを犠牲にして、それだけの努力を行ってきたのですから、それを止めるかどうかの時期は他人にとやかく言われることではないでしょう。

また、松坂選手は実績をあげ、野球界に素晴らしい貢献をしてきたのですから、ご褒美の意味も込めて、本人が納得できるまでNPBで現役を続けても良いのではないでしょうか。

何より、ライオンズというチームが、松坂選手を戦力として考えている。ということなので、私はそれを応援します。

そもそも、諦めの悪い人だからこそ、自分の限界を決めず、上へ上へと高みを目指していけるのではないでしょうか。ここまで縁あって応援してきたのですから、引き際の美学など求めず最後まで応援してみませんか?

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