言葉と私
関西弁の発音
私は、生まれは九州、幼稚園の時に大阪に移り、小学3年生で東京へ。
中学1年生で兵庫に来ました。その後現在に至るまで、兵庫県に住んでいます。
その育ちのせいで、常に言葉の壁を感じ続けていました。そして今日も・・・
日中、仕事をしている時、バケツを取ってほしい瞬間があって、事務員さんに、
「そこのバケツ取って。うん、そのプラスチックの」
とお願いしました。
事務員さんはこう答えました。
「え、このプラッチックの?」
キーボードの打ち間違いではないです。「プラ」と「チック」の間の「ス」を発音していないのです。正直、今まで意識していなかったのですが、関西の人はそのように発音するとのこと。さっそく家に帰って、家族に質問してみました。
プラスチック製のものを見せて
「これ、なんでできている?」
生まれも育ちも関西の奥様と子供。
「プラスチック」(二人同時)
・・・あれ?
子供は分かる。まだ関西歴幾ばくも無い。しかし奥様は、生粋の関西人。仕方がないので、
「これプラッチックって言わない?」
と聞いてみました。冗談を言ったとき、意味が通じなくて解説をしなければならない恥ずかしさが、そこにありました。
「あー、言う人おるなあ」
結局、プラスチックについては謎が深まるばかり。ある一定以上の年代特有なのか、地域性なのか。事務員さんと、うちの奥様はほぼ同年代。ただ、住んでいる地域はかなり違います。
え?私?私は
「プラスチック」派です。
大阪の「なおす」
私が親の仕事の都合で、大阪から東京に引っ越したばかりのころです。新しくできた友達と、私の家で遊んでいました。おもちゃでひとしきり遊んだ後、外に行くことになりました。なので私は友達のそばにあったおもちゃを指さして、
「それ、なおしといて」
と頼みました。すると友達は、不思議そうにおもちゃを手に取り、眺めています。
そして一言、
「どこか壊れてるの?」
私は、おもちゃをおもちゃ箱に片づけてほしくて頼んだのですが、東京では「なおす」=「修理する」になることをこの時初めて知り、「方言」というものを認識した瞬間でした。
他にも、掲示板などにプリントを止めるための「画鋲」を「押しピン」と言って、クラス中で笑われ、とても恥ずかしい思いをしたこともありました。
逆パターンでは、東京から兵庫にきてすぐのころ、友達とどこへ行くかの相談をしていたところ、私が「マックに行こう」といったところ、「?」という反応が返ってきました。嫌な予感がして「いや、マクドナルド・・・」と恐る恐る言い直したところ、「ああ、マクドな」と大笑いされました。
「リュックサックを・・・」
そして、ほんの数年前のことです。
当時、子供が小学低学年。普段はランドセル登校なのですが、何かの学校行事でリュックサックでの登校日がありました。
その学校行事を控えた前の週の休日に、当日何に荷物をいれて登校すればいいのか、という会話になりました。
私:「そんなん、リュックサックからって行ったらいいんちゃう」
奥様:「幼稚園のとき買ったやつ、使われへんかな」
私:「だから、リュックサックからったらいいんやろ」
奥様:「だから、いちいち買わんでいいやん。家にある、あの紫のリュックやったらあかんの?」
私:「いや、そのリュックやろ?」
二人:「・・・」
会話がかみ合いません。
どう考えても、我が家に子供が使えるようなリュックサックは、一つしかありません。奥様が再三言っている、紫のリュックです。
私はそれを使えば?と提案しているのに、奥様は、それを否定して、あたかも別にリュックサックがあるような言い方をするのです。
何回か上の会話をループしました。最後は結構、言い合いの雰囲気にもなってきました。こうなったら、実物を見せたほうが早いと、私の言っているリュックを持って、奥様に見せました。
私:「これ、からわせたらいいやん」
奥様:「からう?」
私:「だから、このリュックを使えばいいんちゃう?」
奥様:「からうって何?」
私:「・・・」
「からう」=「背負う」
ランドセルをからう=ランドセルを背負う
40年ほど生きてきて、「からう」が、標準語ではないのだと思い知った瞬間でした。
九州のほうでは、よく使われているようです。私の両親は福岡で生まれ育っているので、当然のように、私が子供のころから、ランドセルからって、という表現をしていたので、私もすっかり、その言葉が定着していました。
険悪なムードもあっという間に消え去り、大笑い。数年たった今でも、当時のことをチクチク言われます。
常に立ちはだかる方言の壁。私の人生で、やつらは私に過酷な試練を課してきました。次はどんな試練が待ち受けていることやら・・・
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