犬への虐待についての考察

犬への虐待としつけ

先日、犬を角材などで殴りつけながら散歩をさせている人物がいるという報道をみました。

記者さんがインタビューをしたところ、指示に従わせるためのしつけとして行っている、と答えが返ってきていました。本人は、殴ることによって、望ましくない行動を止めており、しつけ、調教を行っているつもりなのです。

まったく理解出来ない思考なのですが、人間の虐待でも同じ考え方で行われています。しつけのつもりだったと。

何故、このような考えに至り、暴力を振るってしまうのでしょうか。私は「支配欲」が大きく影響していると思います。

もちろん快楽、という感情もあるかと思いますが、やはり一番は、自分の言うことをきかせたい。その指示に従わないことに腹が立ち、暴力を振るい痛みを与えることで反抗できなくする。

これが虐待が行われる大きな要因だと思います。では、暴力を振るわなければ虐待は成立しないのでしょうか。虐待の大きな要因である支配欲は誰でも少しは持っているものではないでしょうか。

犬が言うことを聞かない、こちらの意に反した行動をとる。そういった時、腹が立たない人がどれぐらいいるのでしょうか。私は多々あります。

私が犬に対して腹が立つ事例

  • 留守番をさせようとして、ハウスの指示を出したが従わなかった時
  • 静かにして欲しい場面でワンワン吠えた時。そして、それが止まらない時。
  • こちらに来て欲しいので呼んでも反応せず、動こうとしない時

これらのことはたまに発生します。最近では、発生する原因が分かってきたので腹も立たなかったのですが、しばらくの間は、つい高圧的な口調になっていたように思います。犬相手だけでなく、子供相手で考えると思い当たる人もいるかもしれません。

今すぐしてほしいこと、逆にやめてほしいことといった、急を要するときほど指示に従わない時にいつもより腹が立ちます。その時、暴力を振るわないまでも、人間の都合で無理やり犬の意思にそぐわない行動をとらせることは虐待の一種だと言ってもいいのかもしれません。

人づてに聞いた虐待を思わせる行動

飼育放棄をされているらしい犬の引き取り手を探していらっしゃる方がいました。話を聞いてみると、散歩は行かない。お風呂も入れない。トイレも四六時中おむつをつけてさせている。(おむつはさすがに取り換えているようでした)という状態。見た目に外傷はないようですがこれも立派な虐待の部類に入ると思います。

結局、別の知り合いの方が引き取ったのですが、家の中にずっと居ることによるストレスと、体を洗ってもらえないことによって皮膚病になっており、毛が抜け落ちており、皮膚をガリガリ搔きむしってしまう状態。撫でようと手を顔の近くに持っていくと体をビクッとさせる。恐らく叩かれていたのでしょう。

その子が引き取られて1か月ほど経ちますが、皮膚の状態は変わらないものの、まるで生まれたころからその家にいます。というぐらい元気いっぱいになっているようです。

おむつを履かされていたところから、トイレトレーニングが上手くいかず、部屋のあちこちで粗相をしてしまうため、このようなことになったのだと推察しています。私もその立場になったら腹が立つし、どうしよう、と途方に暮れると思います。

動物の虐待を失くすことは出来るのか

本音を言えば、虐待を失くすことは出来ないと思っています。なぜなら、私は犬の行動を制限することが虐待の一種だと考えているからです。本来、自然のことである。吠える、噛むといった行動は人間の世界では迷惑行為の一つでさせてはいけないものととして規定されています。

リードをつけての散歩も当然の決まり事です。特に犬が苦手な立場からしたら、ノーリードで人のそばを歩かせるなど考えられません。ですが犬の自由に生きることを奪っていることには変わりないのです。

だからと言って、野放しにさせることが良いとは決して思いません。誰かに不愉快な思いをさせてしまうかもしれませんし、怪我を負わせてしまうかもしれません。やはり、人間と暮らしていくうえである程度の行動抑制は必要になってきます。その行動抑制の度合いと手段が人によって差があるのです。

動物虐待を失くすための考え方

犬業界の主流の考え方として、犬は集団で生きる動物であり、リーダーのもとで生活することが一番安心する。というものがあります。だから、人間がリーダーとなって犬を引っ張って行くことが犬にとって一番幸せなのだ。という考え方です。

本当にそうなのかな、と私は思います。この考え方は、あくまで人間が主であり、犬は従の立場になります。この時点で、人間は支配する側、と世論が形成されているのです。極端に言えば虐待の第一歩なのです。

私は、犬へのしつけは、人間の生活スタイルに合わせてもらえるよう、犬にお願いをしながら行わなければならないと思っています。お犬様と崇めて、へりくだれと言いているわけではありません。吠えるのを我慢させてごめんね、ありがとう。という気持ちを持つことが大事なのではないかと考えているのです。

できない自分を責めることは無い

私が考える虐待を行う理由にもう一つ、「他人の目」というものがあります。

  1. 時間を問わず犬が吠える。
  2. 近所から白い目で見られる。
  3. 止めさせるためにトレーニングをするけど上手くいかない。
  4. 手が出てしまう。

といったものです。犬に限ったことではないですが、よくある光景だと思います。よく、○○もさせられないのに犬を飼う資格なんてない、という言葉を聞きます。その言葉が飼い主さんを焦らせ、無理やりにでもその行為をやめさせようとする原因になるのです。

ですが、出来ないことで自分を責める必要なんてないと思います。しつけが上手くできないことと、マナーを守らないことは全く別のことだからです。マナーを守らないというのは、そのことを知らないか、守るつもりが最初からない、ということです。前者なら、マナーを知れば守ってくれるようになるかもしれませんが、後者はおそらくどれだけ言っても聞く耳を持ってくれません。

しつけが上手くいかない、ということは、しつけを行おうと努力しているということです。ただ、やり方が不十分なのか、間違っているのかで成功していないだけなのです。焦らず、正しいしつけのやり方を学べば、いつか出来るようになるはずです。その過程で誰かに非難されても気にする必要はありません。堂々と勉強中です。と答えましょう。

また、しつけに悩まれる方は、完璧にしようとしすぎているのかもしれません。完璧に指示を理解して行動できる犬はそう簡単には現れません。そんな子たちはきっと盲導犬や、警察犬になる素質を持った子たちです。ほんの一握りの才能なのだと思います。

自分の手の届く範囲ぐらい好きにさせてあげよう。散歩の時、犬が飼い主さんの足元を歩いていなくても、飼い主さんがすぐに制御できる位置にいるなら気にしないでおこう。そんな気持ちをもって、犬と接することがが虐待を失くす一番の近道かもしれません。

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