オーディオの音質。自分が満足できた音が「良い音質」

雑記

音質の良し悪しは、他人と比較するものではないと思うようになった。

オーディオに興味を持ち始めると、求めることは、「良い音で聴きたい」ではないでしょうか。

スピーカーや再生機器へのこだわりに始まり、純正付属品アクセサリーの交換。リスニングポイントやスピーカーの配置場所、音の反射を考えた部屋作り。電力会社から供給される電気をオーディオ専用にするため、自宅に電柱を立てるこだわりぶりを発揮される方もいます。

オーディオに限らず、どの趣味にも言えることですが、質を求めればそれだけお金も高額になってきます。オーディオの場合、再生機器ならともかく、アクセサリー系のものまで何十万円するようなものもあり、しかもその効果を実感できるのは限られた人という実態。プラシーボ効果説まである始末です。

そんなオーディオの「良い音質」とは一体なんなのでしょう。

自分が満足できた音が「良い音質」

結局、個人的に満足できた音が良い音質なのだろうという、ベタで曖昧な結論に行き着きます。

好きな音質は人それぞれ

理由のうちの一つが、元々、音質の表現自体が曖昧なものであること。艶のある音、乾いた音、温かみが感じられる音など、言っている意味はなんとなくわかるけど、みんなに通じるか、といえばそうでもない。視覚的なものではないので、どうしても抽象的な表現になってしまう世界です。

響いた音が好きな人もいるし、残響音が気になるという人もいます。乾いた音も味気ないと感じたり、クセのない良い音と感じたりもします。人それぞれ好きな音色があるため、これが良い音だ、という定義ができないのです。

聴こえてくる音には個人差があるのではないか

そして、もう一つの理由が、人によって、同じ音を聴いても聴こえ方が違うのではないか、ということ。音は振動で伝えられます。最終的に人間の鼓膜が振動して音を聴くわけですが、その鼓膜の震え方は人によって様々なのではないかと思うのです。

同じ「ド」という音でも、人によって響き具合、音の高低などが若干違うのではないでしょうか。鼓膜はスピーカーのコーン、顔の骨格はエンクロージャーというように考えれば、多種多様な音が発せられてもおかしくないのです。(化学的に実証したわけではありません。ただの想像です)

空間も、音響機器もリスニングポイントも全く同じという条件で聴いても、最後の人間の鼓膜が違うのだから、全く同じ音というものは存在しないという考えに至りました。

音の良し悪しは、結局、自分に聴こえる音で判断するしかないのです。アンプやスピーカーの試聴レビューは参考にはなります。しかし、絶対ではない。

まとめ

私は、各種ケーブルや振動防止アイテム、ノイズ対策で音質は変わると感じています。プラシーボ効果やオカルトではないと信じています。しかし、高価な音質は存在しても、高価=良い音になるとは限らないとも考えるようになりました。

どんな音も、聴き慣れれば変化が欲しくなるもの。終わりのない追求なので、オーディオ沼と言われるのでしょう。曲を全体的に楽しむことも、一音一音の聴こえ方を楽しむことも、音を楽しむ音楽です。一つの聴き方にこだわる必要は全くありません。そして、その良し悪しを他の人と比較するものではないのです。自分が鳴らしている音が、他の人にも同じような響きて聴こえているとは限らないからです。

騒音で周りの人に迷惑をかけたり、金銭面で家族に負担をかけたりしなければ、自分の好きなように環境を整えていき、昨日の「良い音質」はこのスピーカーとケーブルの組み合わせだったけど、今日はしっくりこない。じゃあ組み合わせを変えてみよう、というような日替わり音質を楽しむのも良いのではないでしょうか。

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